205636 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

東亜帝国大学 Web Site

東亜帝国大学 Web Site

第7回憲法学特殊講義

5-3、本件事案をどう見るか
 本件事案を検討するに先立ち、まず結論から述べる。本件事前差止めは憲法21条の表現の自由を侵害するものであり、東京地裁の決定を取り消した東京高裁の決定は妥当なものと言える。ただ、その判断内容についてはなお考えるべき点がある。
 第一に、本件記事で報じられた内容はプライバシーを侵害するものであったか。「宴のあと」事件で示されたプライバシー三要件を元に検討する。
 まず「ア)私生活上の事実又は私生活上の事実らしく受け取られる恐れのあることがらであるか」については、本件記事は田中真奈子氏の離婚という私生活上のことを報じているので、これに当てはまる。次に、「イ)一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立った場合公開を欲しないであろうと認められるか」という点であるが、確かに近年は離婚件数が増加し、離婚そのものを隠し立てしたりするような風潮は廃れているとは言え、一度祝福された婚姻を破棄するという行為を他人の手によって公表されることは、精神的苦痛、またある種の恥ずかしさを伴うものであり、一般普通人の感受性を以ってすれば公開を欲しないものであると解される。また、「ウ)一般の人々に未だ知られていないことがらであるか」に関しては、真奈子氏が極秘に帰国、離婚届を提出していることから、近隣住民は別として大多数の一般人は離婚の事実を知らなかったと思われる。よって、本件記事は、田中真奈子氏らのプライバシーを侵害していると言える。
 それでは、プライバシー権侵害を理由に、本件記事の事前差止めを認めることができるだろうか。「北方ジャーナル事件」、また本件で用いられた事前差止め三要件を元に検討する。
 まず、「(a)公共の利害に関する事項についての表現行為であるか」を考える。この点、東京高裁は本レポート5-2(2)アで挙げた理由を以って公共の利害に関する事柄ではないとしている。だがこれは疑問に思う。確かに、離婚という行為そのものは公共の利害とは関わりがないように見える。しかしそれは、離婚した者が純然たる市井の一私人だった場合である。本件において離婚したのは、「今太閤」とも呼ばれ土建屋から総理大臣に立身出世を為し、地元新潟ばかりでなく日本の発展にまで貢献した田中角栄氏の孫であり、科学技術長官や外務大臣を歴任し、一時は日本中の主婦層の人気を集めた田中真紀子氏や同じく国会議員である田中直紀氏の娘である。また真奈子氏は母親の海外出張に同行したり、祖父の記念館のオープン式典に母親と同席したりしている。このような態度からすれば、特に二世、三世議員の多い日本の政治事情から見ると、地元選挙区である新潟五区の後継者は田中真奈子氏であると一般人が考えてなんら不思議はない。ここで問題になってくるのが、政治家のプライベートである。選挙民は、候補者のどのようなところを判断して投票するか否かを決定するのだろうか。もちろん政策を見て判断する者もいるだろうが、まだまだ無関心層が多い我が国においては候補者の「人となり」というのも重要な要素である。それは、候補者が演説を見に来た子供を抱きかかえたり(例・先の衆院総選挙における岡田克也氏)、妻と一緒に選挙区を回ったりして(例・同じく後藤田正純氏)いるところからも見て取れる。であるならば、将来国会議員に立候補するであろう人物の婚姻や離婚といったものも、公共の関心事に係り、それを報じることは公共の利害に関すると言えるものと解する。
 次に、「(b)-1表現内容が真実でなく又は-2それが専ら公益を図る目的のものでないことが明白であるか」を検討する。この点、表現内容は真実であるので、後者について見ることにする。先ほども述べたとおり、本件記事の内容は著名政治家の後継者問題に関わることで公共の利害に関するものと見ることができるから、たとえ内容がプライバシーを侵害するものであったとしても、「専ら公益を図る目的のものでないことが『明白』」とまでは直ちに言うことができない。また念のため、高裁判決判旨で取り上げられた「公益を図る『目的』は行為者の主観で判断されるべきか」という問題を検討してみたい。この点判旨は5-2(2)イで挙げたようなことを理由に、文春側の主張を退けているが、これはあまりに極論に過ぎ、妥当と言うことはできない。なぜなら表現行為を規制するに当たっては、やはり表現者の意図、どのような意図を以って当該表現行為をしたのかという理由を聴聞する必要があるように思われるからである。判旨が挙げた事例とは異なり、今回はその表現の内容が微妙な性質のものであるから、表現者の意図を全く汲み取ることなくその内容や公表という行為のみを見て表現に制限をすることは、あたかも戦前期の官憲の如き横暴であり、不当であると言える。
それではさらに、「(c)被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る恐れがあるか」を考える。確かに離婚という行為は本人の苦痛を伴い、また公表されることによる心労もあるかもしれないが、しかし離婚をしたことが周囲に知れることによって、当事者が社会的に非難を加えられたり、人格的に欠損した人物であると評価されたりすることは到底考えられない。このように考えると、記事そのものはプライバシーを侵害するものではあるものの、その侵害の内容、程度から見るに、「重大にして著しく回復困難な損害」というまでの被害は及ぼされないと言うのが相当である。
結果、事前差止めを認めるための要件を満たすことができなかったので、本件記事の事前差止めは不当なものと解することができる。
5-4、東京地裁決定が持つ問題 
 東京地裁が週刊文春の差止めを認めたことについては、さまざまな問題点がある。
まず、第一点にして最大の問題が、憲法上に保障されている権利を、民事の争いごとの時に緊急避難的措置としておこなわれる民事保全の仮処分という極めて簡単な司法処分で制限したことである。審尋が一応開かれたとは言え、たった一人の地裁の裁判官の判断で、その日のうちに、表現の自由というもっとも重要な権利の一つがあっけなく制限されてしまったのである。これは本来憲法の守り手である司法が、少々行き過ぎた週刊誌報道を規制しようと思うあまり自ら憲法をないがしろにしてしまったということではないのか。このように簡易な手続きで国民の権利が侵害されるようでは、司法への信頼というものはどんどん失われていくばかりであろう。
また、同決定には、事前差止めが表現行為全般に萎縮効果を及ぼすということになんの配慮もなされていないようにも思われる。本件仮処分命令は、印刷された雑誌から当該記事を切り取るか、当該記事を含まない雑誌を印刷すれば販売、頒布してよろしいというものである。だがこれには非常に大きな経済的損失が伴うのは事実である。本件において実際に販売を差し止められたのは約3万部であった。しかしもしこの決定がほんのわずか早く出されていたのなら、印刷された77万部すべての出荷が差し止められていたのである。記事を切り取るか印刷し直さねばそれらすべてが発売できないという状況は、週刊文春そのものの今後の発売に多大な影響を及ぼすことにつながり、そういったことが認められるということはひいては週刊誌その他新聞・雑誌など全紙媒体メディアの表現行為の萎縮をもたらすのではないだろうか。
確かに、プライバシー侵害は被害者の人権を損なうもので、経済的損失と単純に比較すべきものではないし、またできないこともわかる。しかし、今回のように安易に事前差止めが認められるようになれば、差止めによる印刷のやり直しや販売そのものの中止といった損失(そしてその損失は出版社そのものの存立を危うくすることすらありうるだろう)を恐れ、各社は表現行為を自粛し始め、表現行為の萎縮をもたらすことにつながるものであるから、やはり事前差止めは慎重な上にも慎重な判断を行ったうえで、そのほかにとりうる手段が全くない場合に限って認められるべきではないだろうか。

6、むすび
 今回の事件は、表現の自由と人権侵害に関連して週刊誌報道のあり方を考えさせられるものであった。
 確かに、一部週刊誌には他人のプライバシーをことさらに書きたて、読者の興味をあおるだけのようなものもある。しかし、週刊誌報道は、新聞報道にはない魅力を兼ね備えているのも事実である。 記者クラブに拘束されることなく自由に取材を行い、新聞やテレビが報じないニュースを報道できるのは週刊誌の大きな特徴である。事実、過去多くの政治家のスキャンダルというのは週刊誌報道から発覚した。そういう点から見ると、実は週刊誌の方が、表現の自由に関する「民主制に資する価値」というのを持っているのではないかと思えることさえある。
 表現の自由は、あらためて書くまでもなく、国民に与えられた権利の中でももっとも重要な部類に属するものであり、またその行使の手段は多様化している。新聞、テレビ、ラジオはもちろん、週刊誌、さらにはインターネット(かく言う私もブロガーの一人である)と、国民はさまざまな手段で表現し、また表現を受け取っている。
国民は、権力によって(それにはもちろん司法も含まれている)その権利が不当に制限されないように不断の努力で表現の自由を守り続けなければならないだろう。

7、参考資料
判例タイムズNo.1157
憲法判例百選(第四版)
法学セミナーNo.595
法学教室判例セレクト2004
法律時報76巻7号、10号
水島朝穂教授ゼミHP http://mizushima-s.pos.to/lecture/2003/030507/030507_06.htm

以上
憲法学特殊講義TOPに戻る


© Rakuten Group, Inc.